あの日の選択

2002年4月22日
今朝のテレビで見た「安楽死」のニュース。


こんなふとしたきっかけがあったとき、
自分の中に鮮明に蘇ってくる記憶。


久しぶりに記憶を蘇らせるときが来たようだ。
4/2の日記に書き留めてあるということは、
3週間ぶりに蘇る父の最後を看取った日の記憶・・・。


ニュースでは「安楽死には本人の同意が必要」だという。
父は「安楽死」で亡くなったわけではない。
一般的に言われる「病死」、自然死だった。


父は意識不明に陥った時点で一旦は呼吸停止に心停止。
なんとかドクターが自発呼吸するまで快復させてくれたが
意識が回復する見込みは殆どないと告げられた。
仮に奇跡的に快復できたとしても、心停止で脳に酸素が行かない
時間が長かったため、植物状態になるだろう・・・とも言われた。


そして、ドクターは家族に選択を求めた。
「次に発作が起きたときはどうされますか?」


意識はなくとも生命はある。
状態は変わらずでも多少の延命措置を行うことはできると言われた。
ほんの数日命が伸びるだけのことかもしれないが。。。


自分の命の選択すらできなくなってしまった父を目の前に、
私たち家族は父に代わりドクターに告げた。


「次の発作時は延命措置は行わないでください」・・・と。


自分が父の立場ならどう思うか・・・
そう考えたとき、私を含めた家族3名の意見は自然と一致した。

それから1日半、発作が起きることはなかった。
父の疲れた心臓が、自らゆっくりと長年に渡る活動を停止させていった。
心拍数の計器に表示される数字が序々に落ちてゆく・・・。
その光景が昨日のことのように思い浮かぶ。


延命措置を行うことも技術的には可能だったのかもしれないが、
選択を既に告げてあったため、ドクターは静か見守り、
やがて、父の命の灯が消えたことを静かに告げてくれた。

 
「父の命に自らの手でナタを振り下ろしたことにはならないのか・・・。」
この気持ちが今でも消えずに残る。
おそらく一生残り、消えることはないのだろう。
もちろん父がその選択を責めるとは思っていない。
自分でおこなった選択には自分で責任を持ちたいと思う。
その責任を自覚しているからこそ沸く気持ちなのだと自分では理解している。


責任を重荷と感じるのではなく、
自分で考えて決めたことなら自分で受け止めよう。
そう思えることが大切かな。
父もそんな成長した息子を喜んでくれているだろう。

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